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公衆衛生の動き
pp.50-51
発行日 1954年8月10日
Published Date 1954/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200791
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(1)
3月第五福龍丸の乗組員に端を発した原爆問題は,ようやく落着いて来たような感じである.かつて広島,長崎の両都市が原爆によつて,被害を受けた時に直ちに各大学が研究班を組織して,その研究に着手したが,終戰後間もなく駐留軍によつて,この研究がさし止められた.このために,原爆による現実の被害を受けた唯一の国である日本が,この方面の研究を行うことが出来ず,今回のビキニ問題に対しても,僅かにレントゲン学の知識を土台として対処せざるを得なかつたところに,衞生行政上の混乱を招いた原因がある.しかし,この混乱も主として学問約な良心によるもので,折角直ちに組織された原爆症対策協議会が充分に活動出来なかつた事が主因であろう.勿論この他に賠償問題や国際感情の問題がからんで,一層複雜となつた事も考慮しなければならない.
先に述べた原爆症対策協議会は臨床,食品衞生,環境衞生の三部会に別れて活動を行つているが,患者の数も少く,広島,長崎の経験をも持つている臨床部会が最初から,比鮫的順当に進んだのと比べて,その他の二部会がイバラの道を歩んだ事は容易に想像出来る.
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