世界の波
我れはM・S・A・を受けず
末松 満
1
1朝日新聞
pp.60-61
発行日 1954年5月10日
Published Date 1954/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200740
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「さらばラバウルよ」と島に別れて故国へ帰る気持は,たとえ赤十字の美しい看護婦さんとの戀はなくとも感慨無量であろう.なにしろ4,600キロの長い船路なのだから……ところが,同じ国の中を往来するのに,4,800キロの海を越えねばならぬという奇妙な国がアジアにある.パキスタンがそれだ,終戰後インドが独立するとき,国内に住む回教徒だけがインドとは別個の国を建て,パキスタンと名乗つたのだが,回教徒の居住地が2個所に別れていたので出来上つた国も東西2つに別れたという次第なのである.
東パキスタンはビルマ沿いの地域にあり,わが北海道の2倍にも足らない面積に5,000万人近くが住んでいるが,西パキスタンは面積80万手方キロ(日本の2倍以上)に3,000万人しか住んでいない.いずれも貧乏この上ない有樣であり,アメリカはこれに対して援助をつづけた.麦100万トンを無料でプレゼント(日本へ来る60万トンは無料ではない)したり,肥料工場の提供,材木伐出し,道路建設,留学生交換など,一昨年は1,000万ドル,昨年は1,235万ドルに及んだ.援助の対象は東パキスタンの住民が主であつたが,アメリカとしては「敵は本能寺」実は西パキスタンに反共軍事基地を作るのが目的であつた.西パキスタンはソ連と国境を接しており,ここに爆撃機を据えれば中央アジア各地は狙い打ち出来るからだ.
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