巻頭
研究機器と我等の研究
若林 勳
pp.243
発行日 1953年6月15日
Published Date 1953/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905714
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終戰直後のことであるが 某占領國の何という人であつたか知らないけれども,日本の科學研究を視察し,"大學で教授が教育を二の次にして大した價値もない研究に耽つているようだが,日本には研究室はなくともよい。教授は學生の教育に專念するようにし,研究は○國の進んだ研究の結果を貰うようにすればよい"というようなことを放言したという話がある。筆者が直接聞いたわけでもなく 眞僞のほどは確かでないからその詮索は無用のことであるが,今この話を思いだし何かの反省の材料としたいと思う。
自然科學の發展に研究機器の進歩が重大な關係をもつていることはいうまでもない。海外ではすぐれた研究機器が製作され驅使されている。われわれがいつまでも能率の惡い機器をひねり廻していては世界の學術の進歩とのひらきが大きくなるばかりだという聲も尤もである。文部省は學術用輸入機械に對し特別の處置を講じているのは宜なりといわなければならないが,何分日本の經濟力から言つて容易く入手できないのは當然である。そこで我國でもそのようなものを作ろうということで,あるものは既に國産品ができ,あるものは試作中である。例外はあるかもしれないが,少ない經費であちらのような精巧なものを作るということは非常に困離であろう。
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