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希望をのせて—駐在その後
上村 聖惠
1
1高知縣衞生部保健婦係
pp.62-66
発行日 1953年1月10日
Published Date 1953/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200446
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高知県の保健婦は昭和16年保健婦制度の布かれた当初,僅かにその数20名,それに加えて保健婦の母体である保健所の数が県下1〜2ヶ所にして保健所活動そのものが大したものでなかつたため保健婦はその仕事の基礎である医学的な後楯となるものがなく働く根底が不安定きわまりないものでありました.こうした悪条件のもとに終戦を迎え公衆衞生向上が叫ばれ始められ順次保健所が整備拡充される樣になつて始めて保健所の活動も本格的なものとなつたのでありますが保健所の手足となり県下169ヶ町村人口87万の県内の隅々まであまねくその仕事を行うため昭和24年3月以来全町村に保健婦を配置することゝなつたのであります.そのため今までの保健所内重点主義を癈して管内全体に公平に保健婦事業を行うために保健所保健婦にも町を受持つ樣になりました.即ち人口密度交通地勢等により或る者は2〜3ヶ村或る者は1ヶ町村受持ちそれぞれ受持町村の協力により各町村に保健婦事務所をもちそこを根拠として活動しています.26年1月から12月までの保健婦事業報告を集計しましたが保健婦の駐在制をしなかつた時と組織的な配置を行つた現在を比較しました場回合の差が予想以上に大きいのを感じさせられました.
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