東西詩華集
—シエレー入江 直祐 訳—断章
長谷川 泉
pp.52-53
発行日 1952年11月10日
Published Date 1952/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200405
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シエレーの詩人としての印象は,富家の長子として生れた恵まれた美少年としての幼い頃の面影と,そしてかりそめの舟遊びに不運な難航に遭つて溺死した末路との際立つたモンタージユとによつて強調される。
彼は家柄の然らしめるところに従つてイートンからオックスフオードに学んだ。しかしそのような学風は保守的な旧体制を一歩も出るものではなく,その規矩に合致しないものはうけ入れられなかつた。詩人の魂がそのような雰囲気に反撥したのは不思議ではなかつた。彼は無神論者の汚名を冠せられて,学園から追放のうき目にあつた。皮肉なことに,後には彼の彫像が据えられ,若い学徒の讃仰の的となつたそのオックスフォードから追放されたのである。
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