特集 保健婦の歩んだ道
日本第3期
pp.28-32
発行日 1951年7月10日
Published Date 1951/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200109
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
かつて經驗した事のない民族的大悲劇の中に大平洋戰爭は幕を閉じ,大轉換期を迎えた日本がまず直面した事は,敗戰につきものの惡病の大流行であつた。僅かの醫師と,殆ど皆無に近い藥品をもつて之に對處しなければならなかつた當時の日本が,6年後の今日,公衆衛生に格段の飛躍をなしとげる事が出來た其のかげには,終戰直後日本に進駐し,東京に本據を設けた聯合軍總司令部の眞劍な援助の賜物である。
とりわけ從來日本に於ける看護の立場が,醫業の隷屬的存在でしかなかつたものが,治療は醫業と看護業との併用によつて完成するという考え方に改り,看護を醫業から獨立させ,專門職業として地位を確立させるために,進駐以來一貫した指導と援助を惜しまなかつた總司令部公衆衞生福祉部看護課長オルト女史の業績は,日本の看護界には忘れ得ぬ貴重な存在となつてのこるであろう。當時大尉であつた女史は,日本人には全く驚異であつた。女性の軍人,しかも男性を何の損色もない同格の地位に存在する女史を,當時の日本の女性は等しく羨望した事であろう。在任期間中,少佐に昇格され其の功はますます顯著であつた。豫防可能の疾病で不必要な死亡をつくり出しているのは,醫師や保健婦が國民を教育をしないからだと,何の保健婦講習の集りに於ても,強く而も涙をもつて叱られたオルト女史の言はきくものの腦裡に深くやきついていることゝ思う。
Copyright © 1951, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.