特集 保健婦の歩んだ道
日本第2期
pp.26-28
発行日 1951年7月10日
Published Date 1951/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200108
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保健婦規則制定の年はあたかも今次大平洋戰爭のほつ發の年で,人口政策確立要網に基き,人口問題を中心とした行政指導が行われた。一方健兵健民運動という一つの運動があり,これは即ち上記の政策に呼應するものであるが,主として農村を中心に,健兵を提供する目的をもつて健民を育成していこうという趣旨のもので,當時各都道府縣内に保健所區域一つ宛を健民地區に指定して,保健婦も一名特別に設置し,專ら地區民の保健指導に努力をしたものである。健民地區擔當の保健婦のためには,政府直接其の指導に當り,健民地區保健婦錬成會も前後2回開催されている。當時の錬成會は,凡て皇國保健婦としての精神教育が強く,大きくなされて肉體的訓練に相俟つてまことにたくましい限りであつた。保健婦規則制定と同時に,その行政施策上,專門家の重要を認め,保健婦を採用したが之が日本で最初の女性の官吏であつた。
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