特集 保健婦の歩んだ道
英國
pp.17
発行日 1951年7月10日
Published Date 1951/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200104
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病人をその家庭で看護するために看護婦がつかわれた記録は1848年であつた。併し組織的な地區看護事業が行われたのは1859年,ウィリアム・ラスボーンによるもので,リバープール市に於て始められたものである。そしてこれが,世界の訪問看護事業,即ち保健婦活動の嚆矢とされていることは關係者のよく知つているところである。これより以前,クリミャ戰爭で,其の不滅の名聲をたゝえられたフローレンス・ナイチンゲール女史は,ロンドン市に歸つて以來,看護事業を組織化し制度化する努力をつづけている中,英國民からの彼女に對する感謝寄附金を受け,聖トマス病院に看護婦學校を創立した。この學校は英國中の最優秀なものであつて全世界に「ナインゲール制度」の擴まる際の模範となつているものである。(1860年)ナイチンゲール女史の援助をうけたリバープール市の地區看護事業は増々其の有効重要性を認められ,其の後1874年には首都ロンドン市に,翌年はスコットランドのグラスゴー市に夫々同様の事業が創設されるに至つた。とりわけロンドン市に於ては「首都國民看護協會(Metrspolitan National Nurses Associations)が創設され,更にこの事業に刺戟を加え,拍車をかけた。
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