綜説
英國・獨乙・瑞西・米國を巡りて(2)
呉 基福
1
1日醫大眼科
pp.285-289
発行日 1953年4月15日
Published Date 1953/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410201462
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第二次世界大戰を境にして醫學と言えば獨乙と言つた時代から米國の時代に移つたと,こういつた世俗觀念はいつも吾々をして視野を廣く他國にも轉ぜしめるのを妨げて來た。事實地球の東半球に住む吾々にとつて戰後の歐洲の醫學は未知のものであり,殊に瑞西に對しては全然知る所がなかつた。しかし一旦身を歐洲に置き歐米の文献をひもとけばVogt教授しか知らなかつた私にとつて瑞西醫學は一つの大きな驚異であつた。斯くして私は此の國を訪れるべく決意したのである。天を摩するが如き大厦と千を以て數えるベツトの數が吾々を呆然たらしめるが如き大病院は此の國には見當らないけれども百數十年にわたる長年月の平和と優秀なる機械工業,學問に對する學者の眞摯な態度と間斷なき努力の結晶としてスイス醫學は今やいずれの大國に比しても損色を示さない状態に至つた。
今でも語り草となつているのであるが世界第一次大戰後Vogt教授がSpaltlampの偉大なる業蹟を發表するや,歐米各國から若き學徒の巡禮者が續々とZurichへ參集して彼の門をくぐつた。それと同様に世界第二次大戰が終了するやスイスから次々と薪研究業蹟が發表されて戰爭によつて中斷された歐米學界に大なる刺戟を與え今でも一度は見ておくべき所となつている。
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