連載
公衆衞生の動き
T
pp.47-48
発行日 1951年6月10日
Published Date 1951/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200099
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今度の結核對策は,社會保障制度の一環として生れてきた。3月號にもあつたように,日本のような貧乏な國が,充分な社會保障制度を行つて,困つた人を助け,國民全體の幸福を得ようとすることは,とてもむづかしいことだ。我々の月給の半分も税金に出すようなことになりかねないし,そうでなければ勞働奉仕というようなことにもなろう。然し又一面から考えれば,貧乏だからこそ社會保障が必要なのであつて,國民が皆富んでいれば,そう大々的に社會保障をやらなくてもよいというようなことにもなる。こゝに日本の社會保障のむづかしさがある。
今度の結核對策が,幾多の不滿を殘していることの主な原因は,矢張り充分な豫算がなかつたということにあるようである。勿論,見方を變えれば,公團のつまみ食いのあとしまつをするための何億という金があるなら,その位の金は何とかなるだろうと思う人があるかも知れない。然し日本がもつと富んでいた時でも出來なかつたことを,思い切つてやろうとした點は高くかつていゝと思う。
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