選ばれた母親 障害のある我が子と生きて・2
かすかな希望にすがりながら
大和田 とき子
1
1神奈川県立ゆうかり園
pp.206-207
発行日 1984年2月1日
Published Date 1984/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661923007
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生きて元気に病院から帰ってこられただけで充分
そのころ,私が在籍していた職場は,肢体不自由児の施設‘神奈川県立ゆうかり園’でした.身体の不自由な子供たちや,生後間もない障害を持った赤ちゃんたちを,お母さんと一緒に治療,看護している職場の一員だったのです.まさか,まさか,2人目の出産のあと,立場が全く逆になろうとは,夢にも思いませんでした.そして,病気のことを自分勝手に,先に先にと予想していってしまう自分を悲しく思いました.
‘先のことを考えても仕方がない.泣いても辰吾は良くならない.気をしっかり持って,辰吾が帰ってから元気に育てられるようにしなさい’と,身内の人をはじめ,友人たちからもずいぶん激励されました.
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