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はじめに
國頭 私が日赤看護大学で1年生を対象にやっているコミュニケーション論のゼミの講義録、『死にゆく患者と、どう話すか』(医学書院)、のなかにこういう一節があります(p.162)。「さて、末期のがん患者とどう向き合うか(…中略…)、ほとんどの本に書かれている大原則が二つあります。一つは、患者本人にウソを言わず、正確に事実を伝えること。そしてもう一つは、どんな状況でも、患者が希望を失わないように(希望を持たせるように)すること」。
これに対して私は、「できるわけないだろ、そんなの」と自らツッコミを入れております。詳細は本を読んでいただきますが、どう考えたってこの二つは二律背反になるわけで、少なくとも二律背反になる場合があるわけで、「常に正直に」と「常に希望を」の両立は難しい。我々はどちらかを優先せざるを得ない、ということになります。
チカ つい最近なんですけど、叔父が膵臓がんで亡くなってしまって……。
國頭 またしても身内の話が出てしまうのだけれど、ここで書かれてしまってもいいの?
チカ 大丈夫です。父にも了解を取ってきました。それで、手術のあと再発して、肝臓に転移が出てしまいましたので、かなりきつい抗がん剤治療をやっていました。だけど、「転移」のことも本人には十分伝わっていなかったらしくて、叔父は化学療法は病気を治すためだと思っていたみたいです。
死ぬ4日前に会ったのが最後なんですけれど、「今はとても調子が悪いのだけれど、これは治療の副作用で、病気は治るんだ」と本気で考えていたみたいでした。少なくともあと20年や30年は生きるつもりだったようです。
亡くなったあとで遺品を整理したら、行くつもりだった旅行の予定とか、叔父は教員だったのですが、また教壇に立ちたい、という意欲を書いたものとかがいっぱい出てきました。それを見て叔母と一緒に泣いてしまったのですが、叔母は「(自分の予後のことを知らずに)最後まで希望がもてたのだから」と言って自分を慰めていました。まあそう思わないとやってられませんよね。
レイ 「希望」だったかもしれないけど、結果的にはウソだった、というわけね。
チカ そう。再発がわかった段階で、担当医は余命宣告をしなかったらしいのですよね。そうして、どんどん悪くなって、ギリギリになったらもう言えなくなった。叔母はかなり悪くなった段階で担当医から説明を受けていたけど、もちろん叔父には伝えられない。
國頭 この場合、タイミングを逸してしまったということだよね。伝えるのだったら、再発の時点で、「何ヶ月」とか「何年」とか言わなくても、やはり病状は厳しくて予後も限られていることを言わないといけない。いや、担当の先生も、ある程度は言ったつもりなのかもしれないけど、患者さんのほうにも「認めたくない」という心理があるからね。十分には伝わらなかった。
レイ そのまま、なんとなく楽観的な見通しをもってしまって、担当医も、患者がそういう風に「誤解」していることはわかっていたのだけれども、今更蒸し返してとどめを刺すようなことはできなくて、ということでしょうか。
チカ あとで担当医は叔母に、「医者だって悪者になりたくない」と話したのだそうです。つまり、再発のときに、あまりに厳しい現実を伝えて、患者を絶望に追いやるようなことはしたくないって。だけど、そんなの、医者の側に覚悟が足りないんじゃないでしょうか。
先生はゼミで、昔は命のことや生死のことで相談に乗るのはお坊さんだったけど、今は医者になった、というような話もされていましたよね? 全然そうなってないじゃん、と思ってしまいました。
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