グラフ
—中堅保健医療従事者の育成を通してアジアとの交流を深める—〈アジア保健研修所〉の“自立のための分かちあい”
林田 秀治
,
本誌編集室
pp.848-853
発行日 1988年9月1日
Published Date 1988/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661922076
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「私の命がなくなるというのは大変に悲しいことである.しかしそれはやむを得ないことで,ひとつの解決である.というのは自分か死ねば,自分の夫は次の奥さんを迎えることができる.その奥さんは私の子供を育ててくれる.しかしもし自分か足を切られて何もできないで寝ていたら,どうなるだろう.誰も、どうすることもできなくて,一家は全滅するかもしれない,たから足を切ってもらっては困る」
6歳を頭に4人の子供を持つ婦人が夫と一緒に来院した.婦人はひどい皮膚ガンに侵されており,足を切断しなければ命を落とすことになると医師は説明するが,その婦人は、重ね重ねの医師の説得にも頑として応じない.その時に彼女が述べたのか冒頭の言葉である.「20数年間外科医をしてきて初めて聞く言葉」に,川原啓美(かわはらひろみ)医師は驚き当惑する.氏が日本キリスト教海外医療協力会から派遣されて短期赴任した,中部ネパール・タンセン市のネパール合同ミッション病院での出来事である.
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