DECISION MAKING IN NURSING こんなとき、あなただったらどうします?・15(最終回)
病名告知をめぐるジレンマ
村松 静子
1
,
守田 美奈子
1
,
柳原 和子
,
ワット 隆子
2
1在宅看護研究センター
2あけぼの会
pp.114-117
発行日 1987年2月1日
Published Date 1987/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661921629
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イメージとしての癌
医療技術のめまぐるしい進歩が伝えられている.手術の技術もさることながら麻酔,術後のケア,患者の全身状況のケア,そして制癌剤の開発,放射線や温熱を利用した療法など,あらゆる方面から癌制圧の研究は深められ.現実に進歩していると聞く.ある種の癌については,早期発見,早期治療がなされれば完治するという報告もなされているようだ.なかでも検査技術の精密化はコンピュータの発展と共に飛躍的に進んだ.様々の診断技術を駆使することによって,癌の“見落とし”は従来よりも遙かに減ってきているのではないだろうか.また,完治できないまでも,化学療法などの進歩が延命効果をあげていることも周知の通りである.かつてのような発見された時には手の施しようもなく,あと3か月,半年の生命というケースは随分と減少し,手術後,5年,10年という月日を生き抜いてきた人を身近に見ることもまれではなくなった.
しかし,医療現場の日進月歩を尻目に,いまだに“癌”には“死”“不治の病”のイメージがまつわりついているようだ.癌がはたして本当に不治であるかどうかよりも,“癌”という言葉がかもしだすイメージの方が悲劇的要素が強いのではないか.癌患者本人だけでなく,周囲の家族,知人,医師,看護者のすべてが“癌”という言葉に最初からたじろいでいるのではないか,つまり,癌イコール死という単純な図式の中にはまりこんでしまっているのではないだろうか.
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