PROFILE
知念芳子—患者さんと心が通じ合えたかららい看護を続けられたのでしょうね
吉
pp.1305
発行日 1984年11月1日
Published Date 1984/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661920935
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沖縄のらい看護とともに歩む
看護婦養成所を出て,名護の病院で働いていた時,通っていた教会の牧師から,名護の羽地島に国立のらい療養所ができるから,そこで働いてみないかとすすめられた.
生家は貧しく,はだしで質屋通いをしなければならないほどだったので,早く独立したいと思っていたし,父親が酒飲みで母親をいじめていたのを見ていて‘とにかく満州へでも逃げていきたいと思っていましたので’その話に飛びついた.
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