エージング・レポート イギリスの老年医療見てある記・4
老年医療の歴史
青木 信雄
1
1堀川病院老年科
pp.466-468
発行日 1982年4月1日
Published Date 1982/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661919535
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救貧法時代—労役場・施療院と篤志病陽の2つの流れ
イギリスにおける老年ケアの糸口は,実に1601年の救貧法にさかのぼるといわれます.この救貧法は貧困者と身障者と老人の面倒をみる責任が各地域(行政教区)にあることを明示し,そのための財源は資産を持つ者から一定率で徴収する拠金によること力淀められました,それ以来,老人のケアは運動器・感覚器の障害者や精神病患者ともども,貧民と一緒くたに扱われてきました.救貧法による収容施設としては‘労役場’や‘施療院’などがあります.当時の考え方は‘働かざる者は食うべからず’で,働かないこと,働けないことは悪いこととされ,労役場に収容された人には資産家からの要請もあって懲罰的労働が課せられました.
このような体制の下で18世紀の初頭,首都ロンドンに5つの病院ができたのをはじめ,以後の125年間に150以上の病院・診療所が各地に建てられました.ただし,これらの病院・診療所は地方自治体立や国立ではなく,医師と富裕な患者とのつながりによる献金や,篤志家からの寄金によってできた,いわゆる‘篤志病院’でした.当時は,医師ばかりでなく患者側からも急性期の診療が尊ばれ,意義あるものとされる一方,慢性病の治療やケアは多くの場合貧困と結びついていたため,医師・ナースにとっては報われないもの,患者からは効果のないものと考えられていました.
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