連載 わが憧れの老い・7
深い沈黙をたたえた老い―須賀敦子・その1
服部 祥子
1
1大阪人間科学大学
pp.330-334
発行日 2007年4月15日
Published Date 2007/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688100434
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ことばのmagic and music―須賀敦子の文章のすがた
作家でイタリア文学者の須賀敦子が最初の著書『ミラノ 霧の風景』を世に出したのは,彼女が61歳の時である。それ以前にも,ナタリア・ギンスブルグのみごとな翻訳やいくつかの雑誌に発表した光を放つエッセイもあったが,あまり多くの人の目にはとまらなかった。この遅いスタートの後,彼女は『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』と,次々にすぐれたエッセイ集を精力的に発表し,読む人の心に圧倒的な印象をもたらしたが,1998年,69歳でこの世を去った。
10年にも満たない短い公的な作家生活でありながら,須賀敦子の存在感はたとえようもなく深く大きい。若き日にフランス,イタリアに留学し,イタリア人と結婚してミラノに住んだが,夫とは5年余の短い結婚生活の後に死別,日本文学をイタリアへ,イタリア文学を日本へ翻訳し,紹介につとめながら13年間イタリアにとどまった。その後,日本に帰国,そして遅咲きの文学者として開花という個性的な道を歩んだ人だが,須賀敦子のヨーロッパの文学,歴史,文化への驚くべき通暁や息をするのと同じくらい自由自在な語学力は,日本人としての枠を信じられないほどやすやすと越えて,明晰で柔らかく気品あふれる文体は,こんな姿,形の言語が自分たちの母国語であったのかと,あらためて感動させられる。しかし何よりも読む人の心をふるわせ強烈に引き寄せるものは,須賀敦子本人の人間性と彼女の人間の見方,触れ方,描き方のもつ独特の風合いではないだろうか。
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