特集 家庭で死を迎える
鼎談/人間にとっての死に場所
川上 武
1
,
江本 愛子
2
,
新津 ふみ子
3
1柳原病院内科
2日本三育学院カレツジ看護学科
3新宿区立区民健康センター
pp.579-590
発行日 1979年6月1日
Published Date 1979/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918691
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死に立ち会うのはだれか
川上 今日のてい談は,人間にとっての死に場所ということですが,このテーマは,単に死ぬ場所を問題にしているのではなくて,死に立ち会うのはだれかという問題が,大きな核心になっているように思います.
現在は,人間が死ねば,医者が必ず最後に立ち会って死亡診断書を書くことが,当然と思われています.それから人間が生まれた時は,医師か助産婦が立ち会って出生証明書を書く.ですから人間の入り口と出口は医師なり助産婦によってきちっと証明されることが前提になっている.そういうことは昔から変わりなく行われていたと我々は考えていますが,少し調べてみると,そんなことはほんとに近い時代に起きたことで,例えば江戸時代は,生まれた時に出生証明をする人はいないんです.死ぬ場合は医師に最後を看とってもらうような人は非常に恵まれた,武士か豊かな商人で,大半の人は,医師のような専門職に看取られることはなかった.ですから人間の死亡診断書を医者が書くということに限ってみても,江戸時代などはっきりしていない.そういう時代がわずか100年前の日本だったんです.それは外国の例を見てもそんなに古いことではない.
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