マイ・オピニオン
30年後の訪問に思う
寺島 敏子
1
1諏訪赤十字病院
pp.689
発行日 1978年7月1日
Published Date 1978/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918434
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先日,60歳ぐらいの男性が私の職場を訪れた.30何年か前にここの病院に入院し,看護婦さんに大変お世話になった.私が今日あるのはその看護婦さんのおかげで,一言お礼を言いたいから住所を教えてほしいとのことであった.笑うとえくぼのできる先輩のKさんの顔を連想しながら,ふっと亡くなられたのではなかったかと同窓会名簿を調べてみた.住所欄にはやはり死亡と記されていた.私は‘大変申し上げにくいのですがKさんはお亡くなりになられましたが’と言うと,瞬間ぼう然として,次に大粒の涙をポロポロと流し絶句していた.ややあって‘ではぜひ墓参したいので場所を教えてほしい’と言われ,I市にあるKさんの墓地を,幸い近くに私の友人がいたので細部について問い合わせ,地図を書いてさしあげた.この様子を見ていた事務員が,ぽつりと‘看護婦さんはいいですね.看護婦冥利につきますね’と言った.私も,30年も昔のことを‘今日あるのは,あの看護婦さんのおかげです’と言う患者を目前にして,心の高まりを覚えると同時に,今日の看護の在り方を振り返り,何か胸の痛い思いでいっぱいであった.
その当時を考えると,1に看護,2に栄養,3に薬と,現在のように抗生物質の与薬や諸検査に明け暮れることもなく,手をまっ赤にしての胸腹部の温湿布,長期臥床患者の褥瘡予防に背部痛の工夫,また患者と話す機会も多く,家族や趣味,さらには人生を語り合い,心のふれあいも多かったような気がする.
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