特集 体験としての看護—語り合うなかでの確かめ
語り合いを終えて
宮本 永子
pp.473
発行日 1977年5月1日
Published Date 1977/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918143
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今回の長時間の語り合いを終えて,自分のこれまでの体験をすべて語り尽くしてしまったような気がしている.ただ,語り合いそのものは充実していたと感じているが,恐らく活字となって読まれる段階では,部分的には誤って受け取られることもあるのではないかと,何か怖い気さえしている.また,もっと肝心なことを言っていないような気もしている.しかしながら,この語り合いを通して,今後の自分が看護を続けていくなかでの課題のようなものは見つけられたことも事実である.
さかのぼって思い起こせば,その発端は国立武蔵療養所での外口婦長との出会いにあったと思う.それまでは看護した結果を記録にとどめることはあっても,患者と看護婦が個々にかかわったプロセスが書き記されることはなかった.カンファレンスといっても疾患を勉強するような内容のもので自分のかかわりのプロセスを語るような機会というのは皆無に等しかったように思う.病棟でケース・カンファレンスを医師とともにもつようになってからは,ふだん自分がやっていることに意味があると感じられるようになっていった.それは私ばかりではないと思っている.そしてKさんをめぐっての体験が生み出されていった.Yさんをめぐる体験は,そうしたKさんとの体験を確かめ合ったことがいかに肥やしになっているかと思うのである.
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