特集 援助の成り立ち
援助はいつ,どのようにして成り立つか—レポート3.共感し,受容する心
坂ノ上 淳子
1
,
村岡 侚子
1
,
吉浦 総子
1
,
吉川 千恵子
1
1国立長崎中央病院看護部
pp.253-258
発行日 1977年3月1日
Published Date 1977/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918098
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昭和43年に看護教育はカリキュラムの面で大幅な改正が行われた.従来の看護知識と技術の改善が意図されたのである.以来‘看護とは健康にかかわる患者の日常生活の自立への援助である’というコトバがよく用いられてきたが,しかし実践としては今一歩確立されていないように思われる.確かに,今日,看護に必要な知識や技術がうんぬんされているが,実際の看護場面に行動として活用され応用されているかどうか,今いちど反省する必要があると思う.
‘患者が自らの力で問題解決を見いだす方向づけをする’というのが看護であると主張しているにもかかわらず,ひとたび私たちの周囲を見渡してみると,あちこちで‘あれほど説明してあげたのに……’とか‘できるだけのことをしてあげたのに……’などと,一方的に患者側に非があるかのように押しつけてしまっていることが多い.そうしたことへの反省をこめて,どこにでもあるような事例を取り上げて,プロセスを通じて援助の意味を確かめ,それがいつどのようにして成り立ったかを考えてみたい.
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