東西南北
死
佐古 純一郎
,
泉田 精一
1
,
飯島 智
2
,
かみ てつや
1東京拘置所
2エール・フランス
pp.13
発行日 1968年6月1日
Published Date 1968/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917477
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生まれるとすぐに母を失ってしまった私は,母亡き児の不幸の意識から人生の出発をしたのであるが,やがて,死は母を奪っただけではなく,この自分にも何時の日か必ずやってくるのだと気づいたのである。その日以後,一日として死を忘れて生きた日はない。ギリシャの哲人が「メメント・モリ」(死を忘れるな)という言葉を常に念頭にしたという気持がわかりすぎるくらいわかるのである。死は明日私の生にやってくるかもしれないのである。だから今日生きているということ,今日生かされているということが,限りなくありがたいことに思えてくる。今日というこの日は二度とはやってこないのだと思うと,今日一日を力いっぱい誠実に生きなければならないと思えてくる。死を忘れない心が生の意味を充足させてくれるのである。人生とはそのような生と死との弁証法の中に,その真実が隠されているのではあるまいか。現代人は死をおろそかにしすぎると思う。
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