特集 看護計画の再検討
諏訪赤十字病院における看護計画の変遷
寺島 敏子
1
,
村田 千寿
1
,
唐沢 里子
1
1諏訪赤十字病院看護部
pp.1206-1212
発行日 1975年12月1日
Published Date 1975/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917390
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はじめに
諏訪赤十字病院の看護の実践の場において,具体的な看護計画が取り入れられたのは,昭和36年ごろよりである.それからチームナーシングを昭和39年に実験的に1病棟で始め,昭和40年に全病棟に実施した.このころより,カーデックス使用やカンファレンスとともに,患者の情報の収集と個別的な看護計画が,看護上必要なものとなってきた.更に昭和43年カリキュラムが改正され,総合看護を前提とした患者中心の看護を行うための看護計画が,必然的に重要となってきた.
当院において“看護学総論”(医学書院版)が改訂となった昭和46年に,薄井論による看護計画の検討会を行い,47年より導入しているが,実践の場において問題を検討しながら,定着すべく努力しているのが現状である.ここで第1段階‘カーデックス使用まで’第2段階‘カーデックス使用より薄井式に入るまで’第3段階‘薄井式による現在のもの’を段階を追って述べてみたいと思う.
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