看護婦が患者になる時
死産した子が私に教えてくれたもの
中村 啓子
1
1聖隷学園高等学校看護科
pp.116-117
発行日 1974年1月1日
Published Date 1974/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916935
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五月晴れの美しい空を眺めながら悲しみで一杯の身体を横たえたのは忘れもしない5月29日のことである.
私は看護学院を卒業し,助産婦学校に進み,胸ふくらませてまた母校の実習病院に戻ってきたのは21歳の時である.助産婦という名ばかりのただ,教科書を実際に妊産婦にあてはめた看護をして,分娩は生理的なもの,強度に苦痛を訴えるのは我慢がないのだと,今から考えると,まったく助産婦の資格などなかったと思う訳である.
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