連載 医学と文明・5
ボディ・タイム
水野 肇
pp.646-651
発行日 1973年5月1日
Published Date 1973/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916655
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生命のふしぎな営みと‘ボディ・タイム’の発想
私たちのからだには,非常に多くの‘ふしぎなこと’がある.というより,ふしぎなことのほうが多い.たとえば,発熱したとする.1日じゅう,同じように発熱していることはまずない.朝のうちは低いが,夕方になって高くなるとか,夜になって高くなるとかいったぐあいである.痛みだって同じである.のべつまくなしに痛みつづけるというものではない.気分がいいという場合も同様である.1日じゅう気分がそう快だという日もほとんどない.午前中さえているが,午後はそうではないとか,逆に夜になってからさえてくるというぐあいである.
このようなことは‘ふしぎ’という3字で片づけられてきた.あるいは‘わからないこともあるだろう’といったふうに見られてきた.そうしているうちに,それが当然なのだろうということになって,あまりふしぎとも思わず,もちろん,こういった研究はとっかかりもないために行なわれず,現在まで放置された形となっていた.
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