グラフ
第三世界の医療—北爆で山奥へ引越—北ベトナムの看護学生
pp.62-66
発行日 1971年4月1日
Published Date 1971/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661915997
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ハノイ市郊外の静かなところに,ハノイ医科大学付属看護学校がある。1965年2月,アメリカが北爆を開始すると,この学校はいちはやくハノイから遠くはなれた山奥の洞窟に疎開した。北爆が始まる前は,医科大学は7年制,看護学校は2年制だったが,爆撃がはげしくなり,負傷者が多いため,それぞれ1年短縮された。電気もなく,設備も不十分な洞窟の学校で,学生たちは勉強した。卒業するとすぐ,彼女たちは従軍看護婦として兵士とともに前線へ,また地方の病院に派遣された。各地に派遣された看護婦たちは先生にもなり,看護助手の養成にもあたった。1969年に停止された北爆も,最近また開始され,学校はまた山奥の洞窟に引越した。
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