特集 九州レポート
5 原爆症・25年—原爆病院覚え書
pp.30-31
発行日 1971年3月1日
Published Date 1971/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661915952
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原爆病院の歩み
昭和20年8月9日,長崎市松山町上空にて原子爆弾炸裂。強大な爆風,強力な熱線と圧倒的放射能。夥しい死傷者,長崎市は一瞬にして廃虚と化す。生残者は被爆が原因と目される身体異常を訴え悩み続ける。
昭年32年,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定さる。昭和33年5月20日,日本赤十字社長崎原爆病院開設。目的は被爆者の治療と健康管理およびそのための研究。病床数81床,職員数26名。診療科は内科,外科,産婦人科,小児科,眼科,耳鼻咽喉科,放射線科,皮膚泌尿器科の計8科。総工費1億4千万。財源はお年玉年賀葉書寄附金。昭和36年病院増築,病床数311床,職員数200名。整形外科を増設,計9科。同年,原子力放射能後障害研究所建設,完成。昭和39年総合病院の承認。麻酔科,内科を3つに分離,外科を2つに分離,皮膚科と泌尿器を分離,計14科。病床数かわらず。職員数270名。昭和44年理学診療科,神経科,消化器科を増設,計17科職員数290名。病床数かわらず。
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