看護婦さんへの手紙
重症児施設のおしえ
水上 勉
pp.13
発行日 1965年6月1日
Published Date 1965/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913608
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私は,二年に一ど,約20日間ほど東京都内の病院へはいります。躯に欠陥かあるからです。患部をなおしながら,胃腸やその他の精密検査をしてもらってから退院します。退院した私は,その日から,また忙しい仕事に入ります。私は三年ほど前から,日本の重症障害児の問題に関心をもち,数少ない施設を訪問するのを楽しみにしています。北は青森から南は九州まで,講演旅行や,取材旅行のついでに,眼にとまった施設を訪ねるのです。重症障害児の施設は,私が入院していた都内の病院とくらべると貧弱です。建物も,設備もいっさいが粗末です。どの施設も予算不足を訴え収容しなければならない子供を行列させています。せまい建物に,50人乃至100人の子を収容しています。二重,三重苦を背負った子は,背筋が寒くなるような気もちがいたします。両親に捨てられた子がいます。生まれてから,ひと言も物もいえず,歩きもせず,ただ,食事だけをして生きている子もいます。私は,重症児施設で働いている看護婦さんが,それらの子の母代りになって,まめまめしく立ち働いておられるのをみると,いつも合掌したい気もちになります。たれ流しで歩行困難の子を背負ってひとりぽつんと陽向に出て,おはなしをきかしておられる看護婦さんの傍へよって質問したことがありました。
「失礼ですが,あなたはどこからこられたのですか,この施設の近くですか」その看護婦さんは胸に見習と書いた記章をつけておられました。
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