Ⅳ.私が受けとめたアメリカの看護
ディスポの国民性と経済性—中央材料室
春藤 幸江
1
1東京佼成病院
pp.93-94
発行日 1967年10月1日
Published Date 1967/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913375
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私が中材に交替してからまる2半年が過ぎた。当時中央材料室という呼び方に非常に抵抗を感じた。なぜ「滅菌」の二文字が入らないのであろうか。どうしてもしっくりしないので,折にふれては滅菌材料室であることを強調した。そして半年1年と経つうちに,用度もしくは用度倉庫との地理的関係および業務内容に,何かもう一歩あゆみよりの余地があるように感じられた。というのはたとえば,大量輸液セットのディスポーザブルを検討した際,原価計算をしたら,その当時で経費には大差がなかったのである。それなら数字に出ないヒヤヒヤ料だけでももうかると願い出て許可になった。以後小児用でも輸血用でも,バイアル,ガートルにかかわらず全部ディスポになった。そして今や針もディスポになりつつある。こういうことは用度の仕事のような感じもある。何かすっきり割り切れないものが残っている。
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