東京都20年看護のあゆみ
将来は小児専門看護婦の手で—清瀬小児病院の推移と看護のあり方
原 ろく
1
1都立清瀬小児病院
pp.34-37
発行日 1967年1月1日
Published Date 1967/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912995
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I.病院の推移
敗戦の痛手も強く衣食住にも事欠くといった,あらゆる面で苦しみのどん底にあった昭和23年,大人の療養所の中に子どもが入院しているのを見てまわられたドクター・マニトフ女史は,子ども専門の療養所を作るように東京都に指示された。この年の11月,今の国立清瀬病院の前身であるアフター・ケアー施設であった静和園の2つの病棟の畳や襖を,硝子戸と板張りにかえただけで,小児結核保養所として発足したのである。
当時は100床であったが,27年には150床,28年には一挙に300床に増床して名前を小児結核療養所に改められた。
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