いま,小児専門病院・小児科部門の運営は・9
東京都立清瀬小児病院
川村 猛
1
1東京都立清瀬小児病院
pp.1138-1144
発行日 1997年12月1日
Published Date 1997/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541902292
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沿革
1945年太平洋戦争終結当時,東京には7,000名の小児結核患者がおり,毎年1,300名が死亡する時代であった.結核への特効薬の欠如はもちろん,戦争による社会の疲弊や衛生行政の混乱の結果と思われるが,これに驚いた占領軍最高指令部(GHQ)は1948年4月東京都に対し,急いで小児結核療養所の設立をするよう指示を行った.これを受けた東京都は同年11月,都立病産院のアフターケア施設跡地を利用して,急遽小児結核患者を収容治療する「都立清瀬小児結核保養所」を開設した.
東京都立清瀬小児病院の沿革はこの結核専門療養所に始まる.100床で開設したこの施設は1949年には開発後間もないストレプトマイシンの使用など本邦小児結核治療に指導的役割を果たし,1953年の最盛期には300床を擁するまでに発展して「都立清瀬小児結核療養所」に改名,さらに結核に対する外科治療が導入されるに至って1958年「東京都立清瀬小児病院」と再び改称された.小児病院の呼称は1965年本邦最初の国立小児病院に先立つこと実に7年であるが,小児総合病院とは異なり,その診療活動は依然として小児結核中心であった.
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