特集 ナースと社会的評価
世界のナース気質
杉森 みど里
1
1国立東京第一病院
pp.32-35
発行日 1964年12月1日
Published Date 1964/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912462
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日本のような単一民族国家でなく,元来複合民族国家であるアメリカ,しかもその巨大な富の上に築かれた技術と学問に慕い寄る世界各国からの渡米者は,この国をまるで人種の展覧会のようにしている。ナースもまた例外ではない。私は滞米2年の生活中,諸外国から集ったナースとめぐり合い,語り合い,その人たちと友情を暖めることのできたのは一つの大きな収穫であった。その一端を思い出すままに手繰り寄せ,綴り合せて,各国のナースの絵模様を描き出してみよう。
フィリッピン
米国の属国であるとまでいわれるこの国からの入国者は極めて多く,私の最初に出会ったのもこのフィリッピン人。ペニタ・ピッピは高校卒業と同時にロスの大学で看護学科をあえ,2〜3年働いて同国からきた技士と結婚することになっていた彼女は熱心な旧教徒で,週3回早朝のミサに出てから出勤する程だったが,何やかやと私の生活面にいろいろと忠告して,私を驚かせ,またいたく感心させもした。必ずお弁当持参で出勤する彼女は,昼食に80セントも支払うのは不経済だと私をさとし,さらにサンドイッチの紙袋は一食毎に捨てずにきれいにたたんで持ち帰り身を持って教える。休日等当宿の私は洗濯場で彼女に出会うことも多く,ある日私の糊づけを横から見ていた彼女は,余った糊を捨てようとした私に「何故それを捨てるの?きれいに洗ったものにつけた残りだから,きれいでしょう。捨てないで次まで取って置きなさいよ」と意見する。
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