扉
日本人気質と自己責任
野崎 和彦
1
Kazuhiko NOZAKI
1
1滋賀医科大学脳神経外科
pp.3-4
発行日 2009年1月10日
Published Date 2009/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436100864
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8月に行われた北京オリンピックでは,連日熱戦が伝えられていました.「日本人は本番に弱い」という言葉はある意味では的を射ているように思いますが,4年間のプレッシャーを背負いながら日本人らしくない有言実行の活躍をしている選手を見ると,わずかながら時代の変化を感じました.
日本人の気質として,「皆が同じものを食べて,同じものを着て,同じ情報番組を見て,同じ話題で盛り上がって,常に回りの目を気にしながら,人と同じような行動を選択している」という側面があります.この15年の間は若い世代を中心に服装や主張に多様化がみられ,紅白歌合戦や大河ドラマなどの特定の番組や野球,相撲などの限定したスポーツを見る風潮はなくなりつつあり,「私は皆とは違い自由に生きている」と主張する人もおられます.しかし多くの人は,同じ日本人であるという安心感のもとに生まれたバリエーションにとどまっているにすぎないように思います.日本という国が,幸か不幸か完全な島国であるために,人や物の流通に制限がかかり,都合のよいものだけを取り入れることができ,大国の庇護のもと安全で豊かな国創りができたと思われます.また,日本語という共通言語の世界にとどまりながら生活できるため,コミュニケーションが不得手になっているようで,結果として「一億総日本人」の社会となり,現在起こりつつある世界の諸問題に柔軟に対応できない国民になっているのではと懸念します.個々人においても国家としても「自己の確立」が遅れており,責任を持つことが苦手な国民ではないかと考えてしまいます.
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