想園
女と職業
大原 京子
pp.75
発行日 1964年5月1日
Published Date 1964/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912250
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去年のことだった。私は結婚で退職以来,4年ぶりで大学病院に就職した。医学の進歩には,4年の空白が大きすぎ,半年ばかりは慣れるのに苦しい時を過ごした。その時,18人のスタッフのひとりが産休にはいることになり,既婚者の私に憤懣をぶちまける人も多かった。
「結婚して子どもを生むたびに,独身者の負担になられては困る。生むのは勝手だが,自分だけで始末をつけてくれ」「何のために結婚するのでしょう。子どもができたら養ってもらえばよいのに。私ならそんな結婚はしないわ」「産休をとるくせに大きな顔して,すみませんという気持がほしいじゃあないの」「きょねんの病室会議では,産休をとらせないというのが多数決できまったのよ」いわれるたびに,確かに産休が同僚の犠牲の上に成り立っており,私も迷惑をこうむる側に立たされたら,いい出しかねないことだと思った。組合活動の友人に話すと,「自分にも,そういう番が回ってくると思わないのかしら」というが,若くて結婚しそうな人は,はっきり表現することに控え目で,もう望みもないような人が断言しきる。定員が足りないことが,看護婦の人間性まで歪めているのではないか,と先輩はもらす。産休には,代替員の予算化ということが救いのように思われるのであった。女性が職を持てば,一生ひとりでいない限り,妊娠というのは予定された現実である。妊娠を否定することは,女の否定,ひいては入間の否定にもつながる。
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