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看護婦不足の真因はどこにあるか—二木シヅエさんの手記に寄せて
恵 小峩
pp.58-59
発行日 1963年12月1日
Published Date 1963/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912091
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■現場だけが苦しんでいてよいのか
二木さんは看護入員不足について,問題を種々の角度から呼びかけております。じつはこの文茸をよんで,私は涙が流れて仕方がなかったのです。私は疲れた,と看護婦さんは申します。こうした現状を,看護指導者は,厚生省の看護課長は看護協会の役員の方々は,いったいどう考えて,その方策を立てているのでしょうか。現揚の看漢婦さんだけが苦しみ,悩み,考え,その解決に苦心しているとしたら,これは問題です。しかしこの問題は,看護関係者,指導者がいちばん苦心され,心を痛められていることでしょう。しかし,看護実働人員の確保ができない事実はどうしたことなのでしょうか。患者に,誠意をもって,まじめに,仕事に忠実な人ほど疲労の度合が大きく,またその悩みも大きいのです。人間個人の手と足ですることには限界があります。看護はひとりの女性の手と足とですることなのです。「いっそ退職しようか」と迷うのは,自分の限界でこれ以上は無理である。しかし自分を求める患者は多いことの悩みに苦しんだ結果のことばだと思います。「疲れちゃった」思わずため息が出ることでしょう。
■看護婦不足の原因は医師にある
ではこの看護不足をどうしたら良いのでしょう。二木さんもこの問題を提出され,一,二の具体案を出されておりました。だが私の考えは外の方面にあると思われるのです。
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