この人と30分
私は訴えたいナース間のいい人間関係を—二木シズエさん
所沢 綾子
1
1編集部
pp.62-63
発行日 1963年9月1日
Published Date 1963/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912021
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■目下,浪人中
この人手不足,人員不足が叫ばれているのに,二木さんは,ただ今浪人である。「私のような経験の旧いものは,おそらく就職先がなくて,結局アメリカへ舞い戻らなくてはならないのじゃないかしら」と大変悲観的な見とおしを持っている。なぜだろう? 二木さんは,このことに関して訴えたいことを山ほど持っている。今年5月の中旬アメリカから日本に帰って来て,看護界に感じた「壁」を語ってもらおう。
二木さんは,昭和26年に京大付属高看学院を卒業(第1回生),近畿保健婦専門学院を卒業,つづいて,東京の日赤助産婦学校を卒業した。その後,新宿日赤産院に助産婦として勤務,約4年間ここに働く。昭和31年から32年を,伊丹乳児院に総婦長として勤務,この間に社会福祉主事と保母の資格をとる。33年から34年まで,大阪の淀川キリスト教病院に新生児室の主任として勤務。その後アメリカ留学までの約1年間を西淀川第一病院に総婦長として勤務する。
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