患者のそばでまなぶ・1
くろうとでもおつかなびつくりである
小林 富美栄
pp.41-44
発行日 1962年7月15日
Published Date 1962/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911682
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病院に行こうと思う時はいつでも次のようなことに耐えられるかどうか自分自身でたしかめてみなければならない。
(1)長い待時間
かなり長い待時間を覚悟して行っても,病院ではどうしても不安になる。それは一体何人目位に自分に呼出しがかかるのか分らないこと,どれだけの時間(刻)まてば,自分が医師に面会できるかが確実になつていないことなどから起ってくるのであろうか。そして待っているうちにいろいろの被害妄想が起ってくる。私のカルテがちやんと届いていないのではないだろうか。あの人は私より後に来たのに,呼ばれて行った,さて私のカルテはちやんと順番になって並べられてあるのだろうか。ここではどんな順番で診察をうけるようにきめてあるのかしら,特定の人に優先順番を与えているのではないだろうか,そしてお医者さんはまだ出勤していないのだろうか,何時に出勤する規約にな_ているのだろうか,何故,患者に長くまたせることについて一言の説明もしないのだろうか,と次第に,病院の外来のやり方について不満をもち,攻撃的になってくる。痛み,苦しみが伴う病人の場合には,この時にさらに生命の不安まで感じるようなこともあり得る。専門家である私は,忙がしそうに活動している看護婦さんに気の毒だとは思いながら,ここで何か一つ,愛想のいい言葉が,顔見知りでない患者にももらえないものかと法外な希望を懐く。
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