講座
話しかたの科学
斎藤 美津子
1
1国際基督教大学
pp.42-44
発行日 1962年3月15日
Published Date 1962/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911581
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最近,私は久しぶりで,東京の或る病院に友人のお見舞に行つた。医学書院から「話しかたの科学」という題で,この原稿の執筆を依頼されていたし,看護婦さん方には,特にふだんから厚意を持つている一人なので,白衣を身につけた看護婦さんを,凡そ2時間位,じつとよく観察してみた。勿論,この2時間余りだけの観察で,最後的な結論を下すことはできないが,少なくとも,この2時間の私の観察の結果は「この病院の看護婦さんは,まるで石のような人たちだナー」という淋しい印象であつた。見知らぬ訪問客に,馴々しく話しかける看護婦さんもどうかと思うが,病院に現在縁の遠い私にとつて,期待と厚意をもつていただけに,その失望は大きかつた。それで,今日は,ここに「話しかたの科学」をコミュニケーション(Communication)の科学と置きかえて,二つの問題をとりあげてみたいと思う。
1.コミュニケーション(話しかた)は口先きだけの,お喋りではない。
「話しかた」といえば,すぐ口先きの上手な人とか,雄弁家を私共は,連想するのが常である。しかし,それは,民主主義社会に必要なコミュニケーションの理論からみると,最低のコミュニケーションの方法であり,最も恥ずべきものなのである。というのは「口先きだけがうまい」とか口から先きに生れてきたような雄弁家といわれる人や,話術の大家のようなタイプの喋りかたは,コミュニケーションの効果を,著しく低下させる要素になるのである。
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