連載 詩人の話・4
川路柳虹のこと
山田 岩三郎
pp.45-47
発行日 1961年12月15日
Published Date 1961/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911529
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川路柳虹が外遊したのは昭和2年(1927年)です。その7月にはモスコーのレーニン霊廊で,レーニンの遺骸を参観しています。翌年の10月にはパリーにある〝中央文献史料協会〟の催す〝日本の会〟というのに出席して,ベルレーヌの〝返らぬ昔〟〝悲しい媾曳〟〝空は屋根のかなたに〟の柳虹訳の3篇の詩を,日本語で朗読していることが記録にのこつています。
昭和2年の7月には,文壇の鬼才といわれたあの芥川竜之介が自殺しております。当時の文学の世界を見ますと,〝プロレタリア文学文壇を圧す〟と後世にまで諸種の文物に記載されているほど,左翼文学の最絶頂期であつたのです。いま私が,こんな風にかんたんに書いておりますが,当時の風潮・時流を知つている者にとつては,まつたくたいへんな騒ぎだつたのです。〝平氏にあらざれば人にあらず〟といつたような暴戻が,〝左翼にあらざれば文学にあらず〟の式で世上を風靡したものです。芥川竜之介の自殺はこの左翼攻勢に壊えた故だなどと,一部ではそんな取沙汰までなされたほどでした。
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