詩の話・12
着想にさきだつて
山田 岩三郎
pp.73-75
発行日 1960年11月15日
Published Date 1960/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911207
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あるとき私は,朝鮮戦争を舞台としたアメリカの劇映画を見ていました。マリンのカメラ偵察隊が戦線の奥ふかく侵入し,深夜,仮泊した農家でゲリラ隊の襲撃をうける。緊張した場面から場面へとスリルが迫り,劇のクライマツクスだ。その時突然,いつさいの音響が消えてしまつた。忍びよるゲリラ隊のカツト・カツトにあわせて,陰気にひくくひびいていた断続的な音楽もぴたりと止み,音楽のきれめかと思つていたが,場面は進行して銃の撃ちあいとなる。発射音も炸裂音もないが,スクリーンには烈しく火花が飛び散る。発声機の故障だなと思つていると,画面では絶叫の表情で口を大きくひらいて兵隊が殪れる。—音響のかき消えたこの数場面には,スリルも悽惨さもまるきり失して,むしろ逆に,俳優のオーバーなアクシヨンなどがそらぞらしく目にうつり,奇妙とも滑稽ともなんとも形容しがたい異和感だけを受けた。
そのとき私は.ふと,友人の音楽家が日頃いつていることばを思いだしていた。“映画から音楽を取り去ると,映画の興味は半減する。”—そして,なるほどこのことだなと思つたのです。
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