詩の話・16〈最終回〉
表現までの経過
山田 岩三郎
pp.62-64
発行日 1961年3月15日
Published Date 1961/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911295
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
表現の上では,形容とか比喩や隠喩が詩らしい感じをただよわすことは,前回にお話した。内容にわたつては,空想・夢想・幻想のような想像の世界や,憧憬や思慕のような情操の境地を,ひろく一般では,詩のような感じ,とか,詩のような気分としてとらえています。また,“とてもロマンチックね”というような状況をもつて,詩的であると称する向きもあります。ロマンチックと詩的とが同義語にもちいられていることは,文学作品である小説の会話などにも往々にして見うけられます。いずれにしても,現実を離れた非現実,あるいは反現実のありかたが,詩の要素となつて一般に反映していることは事実です。
だが,こうした非現実のありかたが,そのままただちに詩である,と,いうわけのものではない。現実的なものごと・ことがらのうちにも詩は介在する。このことはすでに“詩材”を語る章でお話した。それにしても現実(リアリズム)そのものよりも,ロマンチシズムや,空想・幻想・憧憬・思慕のような情念が,詩らしいととられるのは何故でしようか。—実はこれらの思惟・情念のまわりには,現実とはことなつた特殊の情緒や雰囲気が,まとわりつき揺曳するのが常だからです。故に別ないい方をすれば,非現実の夢そのもの,空想そのものが詩ではなく,非現実が纏うている情緒とか雰囲気というものが,詩的美意識や美的感情に触れるのであり,そこに陶酔感などがもたらされたりするのである。
Copyright © 1961, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.