講座
医薬分業と診療報酬
大村 潤四郞
1
1厚生省医療課
pp.22-27
発行日 1956年6月15日
Published Date 1956/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910995
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医薬分業の歴史
我が国の医学は明治初年までは所謂漢方と称して主として支那から伝つて,来た医学であつて,その後和蘭,英国,独乙等から輸入された洋法が主となり今日に至つていることは衆知の通りである。漢法の時代には医術も単純であつて,薬を盛ることが唯一の治療であつたから医師のことをくすし(薬師)と称し医師えの謝礼は薬礼といつたものである。西洋医学が我が国にかなり行われる様になつてからもこの考えが容易に変らなかつたのは国民の側にも医師の側にも従来の習慣を特別不合理なものと考えず墨守して来たこと,医薬分業に必要な薬剤師の数が充分でなかつた事等に依るものであろう。諸外国に於て医薬分業が何時頃から行われていたかはつまびらかではないが日本に於ける最初の医事法制である医政が起草された明治初年の頃は既にヨーロッパ諸国は医薬分業であつた。というのは医制は相良知安によつて起草されたといわれるかその際仏,独,英等の医事法制が参考にされたのであつて医制の41条には「医師たるものは自ら薬をひさぐことを禁ず,医師は処方書を病家に付与し相当の診療料をうくべし」と記載されている。医政に現われた医薬分業の精神も薬局の不足等の為に実際に実施するには至らず,特定の地区では医師が薬舖主(現在の薬剤師)を兼ねることが出来たし,薬剤師法が出来てからも長い間医師たる者は自己の処方箋による場合には調剤することが出来る事となつていた。
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