教養講座 小説の話・32
椎名麟三のこと
原 誠
pp.68-70
発行日 1959年10月15日
Published Date 1959/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910950
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椎名麟三が文壇に登場したのは,昭和22年,「展望」という文芸雑誌に「深夜の酒宴」という短篇小説をのせたときからでした。36歳のときです。その作品は当時かなり問題になり,両手をあげて迎えいれる人,逆に批判をあびせる人などで,さかんな論義をおこしました。新人の問題作が世にでるとそれが問題作であればあるほど賛否両論,はなばなしく戦わされるものです。処女作だけではまだその作家の思想がよくみきわめられないので,いろいろな論義がまきおこされるのかもしれません。が,椎名麟三の場合は,「深夜の酒宴」一本だけでも,かなりはつきりした思想的な場がうちだされていました。批難のあつたのは,いわゆる民主々義文学の陣営からで,この作品にうたわれているニヒリズムを指摘して,にせものではないかというような声がおこり,一方,当時の文壇の主流であつた近代文学を中心とする戦後派文学の側からは戦後という混乱期の人間存在をするどくえぐりだした代表作のひとつとして歓迎されました。その頃,わが国の思想界にはフランスの哲学者であり文学者であるジヤン・ポール・サルトルの思想がその小説を通して紹介され,エクジスタンシヤリスム(実存主義)などという言葉がやはり,混迷期の不毛の土壤にうごめいている人間存在を的確についたものとして,新鮮な,身近かなかんじで喧伝されていたのでした。椎名麟三も当時は,そのサルトルと思想的に同一の場にたつた申し子のような作家だといわれたものでした。
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