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「看護学雑誌」12年の歩み〔3〕
長谷川 泉
1
1医学書院編集部
pp.19-21
発行日 1958年6月15日
Published Date 1958/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910617
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官報的な匂いを次第に脱却
創刊後しばらくの間の「看護学雑誌」の性格は,既述の如くかなり官報的な匂いが強かつた。これは当時の情況としてはあたりまえのことであつた。なぜならば,新しい看護制度をうちたて,新しい看護教育を推進し,既成の看護婦の再教育をしようというのであるから,当然仕事はそのイニシヤチブをとるGHQや厚生省の線が強力におし出されることになる。そして,それに加えて新教育制度の線に沿つた講義内容が盛られたのである。だいたい講義が全体の頁の半分から3分の2ぐらいをしめ,残りがGHQ関係や看護婦指導者の啓蒙記事や随筆などになつている。
本連載の(1)に載せた「看護学雑誌」の表紙一淡い緑碧地の中心に赤十字を配し,その中にキヤンドルをデザインしたもの一は,第5巻第6号(昭和24年6月号)まで続いた。これが「看護学雑誌」の第1期とも称すべき時代である。編集は太田千鶴夫氏が担当した。この第1期の終り頃には,太田氏は表面には出ず,編集事務は水野嬢が担当した。
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