とびら
乱視
pp.9
発行日 1955年10月15日
Published Date 1955/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909922
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昨年の春頃,私は何処が悪いというのでもないのに毎日頭が重く,疲れ易く,気分が晴々としなかつた。眼が悪いのではないかという人があつて,忙がしい体の一時を眼科医への訪いに無事解決されたが,14,5の頃からの乱視が20年を経て大変進んでいたらしく,眼鏡を掛けてみて驚いた。健康な人間の眼というものが,これ程,物の形とか色とかをはつきりとらえ得るものとは思つていなかつたのである。遠くの遠くの屋根瓦の一つ一つまではつきりと見える。眼鏡を当てると同時にあたりの景色は突然私に近づき,余すところなく,すみずみまでその姿を現わしてしまう。椿の葉の上に金色の目を細めている雨蛙のせわしい息ずきや,物かげに人おじして,目を光らせているこおろぎなど,縁に出ただけでは目にとまらなかつた小さな動物の表情がはつきりと見られるのである。私は叫んだものだ。“まあ世の中つてこんなにハツキリしているものなのね”全くのところ自然の景色というものはもつと混然として一体をなしているものだと思つていたのである。それらは極めて複雑で,一つ一つ孤立して,それぞれの性格を単独に示しているものなのだ。まるで縁どられた日本画を見るようだ。こんな風に感じるのは,私が正しい視覚を与えられて日数を経ないせいかもしれないが,とにかくも眼鏡というものは便利なものだ。これを発明した人は偉大なる慈善家だ。私は眼鏡を掛けて朗らかだつた。ところが最近こんなことを発見したのである。
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