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天職
小巻 元隆
pp.34-36
発行日 1955年5月15日
Published Date 1955/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909830
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昭和30年3月8日,春にはまだ早いというのに風もない温い日ざしが,ここ東京青山の日赤中央病院の構内にある日赤看護婦の同窓会「同方会」宿舎の一室の窓からさしこんでいた。それでも室内には医師をはじめ仕事のあい間にかけつけた白衣の看護婦たちが重ぐるしい空気の中で静かにねむつている年老いた婦人をみつめていた。午後3時このようにして日本看護婦会の長老,“山本ヤヲ”は永遠に帰らない旅路に上つた。それから2日おいた3月10日,この日はうつて変つて寒い日だつた。日赤短大の講堂はむせかえるような花と線香の香りがたちこめ,白衣の教え子たち多数が参列して,しめやかに,しかし盛大に,日本看護婦界の長老にふさわしい葬儀が行なわれた。日赤の看護婦といえば戦争とはつきものとはいいながら,まつたく平和的な赤十字の精神で清い一生を送つた“山本ヤヲ”は,もう帰つてこない。
明治8年といえば,日本は長い鎖国から解かれて,世界の注目を集めながら,第1等国への輝やかしい上り坂をわき目もふらず歩みはじめて,まもない頃といえよう。しかし一方では,士農工商の長い夢からさめきれない士族たちが,世の有様をなげきながらも今日のくいぶちを得るために“何とかしなければならない”と,あせつていたのだつた。
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