メロデイーの泉・5
“別れの曲”シヨパン
山本 金雄
1
1NHK音楽課
pp.42-44
発行日 1954年2月15日
Published Date 1954/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909510
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
ピアノといえばショパン,ショパンといえばポーランドという位,ショパンにピアノと祖国ポーランドは切つても切れない関係にあります。
今から144年前の1810年「流浪の民」を作曲したロバート・シューマンより4ヵ月早い2月22日ポーランドの首府ワルソーの近郊に生れました。同じ年に生れた大作曲家にはショパンより125年も前の1685年に生れたバッハとヘンデルがおり,ロマン派音楽の中心をなす作曲家ショパンとシューマンがおります。偶然の一致にしても余りにも偶然過ぎ,共に比較対象的に論ぜられております。しかもショパンは当時の大音楽家メンデルスゾーン,シューマン,リストと共に親しく交わり,幾多の曲を捧げております。数年前,日本にも封切された映画「別れの曲」はショパンの自叙伝で,その主題歌はショパンの練習曲作品10番の3番目ホ長調の曲の甘い美しいメロディーをとつたもので,ショパン自身「こんな美しいメロディーは一生のうちに二度と書いた事がない」といつている程美しい悲哀をこめた名曲「別れの曲」です。
Copyright © 1954, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.