連載 A子とともに(コント)・15
A子の思い出
關口 修
pp.49-51
発行日 1953年3月15日
Published Date 1953/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907268
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(あなたが寂しいと思うとき,寄るべないと思う時,過去をふり返つてごらんなさい。あなたの幼年時代少女時代……あなたはそこに豐かな,誠實な,そしていとしいものを見出だすでしよう)或る詩人はこう云いました。私はその思い出について,すこし語りたいと思います……というと大變に遠い昔のように聞こえますが,過去と現在と未來とをいつしよに持つ若い年頃の私とすれば,その思い出は,アルコール漬の標本のように現實を離れたものではなく,まだすぐそばにある私の昨日かも知れません。皆さまもA子とともに,これからいろいろの未來に生きてゆかなければなりません。しかしかよわい乙女の身とすれば,行く手をさえぎる悲しみや苦しみを押しのけてゆかなければ,現實として受けとることの出來ないのが,未來の幸福ではないでしようか。その未來を胸に描くとともに,過ぎた日をふり返つてみることは,現在を張り合いのあるものにするものです。で今語ろうとする私の思い出—それは決して静かな島々をさすらうように美しいものではありません。ただその頃のひたむきな乙女ごころは,何かにつけ蘇えつて,ある時は私をつよく勵まし,また或るときはやさしく慰めてくれる郷愁のような懷かしいものです。
それまで北から吹いていた夕風が西にそれると,焦げ臭い生々しい臭いが煙に混つて村に流れてきた。それは晝間路を走る自動車の埃のように,顏を反けずにはいられないものだつた。
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