灯影 ブックレビュー・2
—村尾淳著—「それでも親はあきらめず」/—マークゲイン著—井本威夫譯ニッポン日記(上下)
石垣 純二
pp.38-40
発行日 1952年2月15日
Published Date 1952/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907000
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私はこの文章をはじめてカトリツク・ダイジエスト誌上で読んで大變感銘をうけたので,全篇をよみたいと思つて一册買つた。非常に淡々とした手記で,根をつめれば,三,四十分でよめる本であるしかしなかなか忘れることのできない本だ。アメリカのガンサーの「死よ驕るなかれ」や日本の「一郞」など,同じ親子の斗病記である。貧乏國らしい,つゝましい。ある意味では慘めな斗病記であつてガンサーのそれのような壮麗なものではない。子どもをちよつと入院させるのにも,社長に嘆願して,そこばくかの金を借りなければならないような,つまりは我々と同じような庶民の斗病記であるそれだけに身につまされるわけだ。この人の長男は,進行性筋萎縮症という難病にかゝつて,徐々に歩行の自由を失つて行く。これは我々も學生中に故呉教授の御研究をつぶさに講義された思い出があるが,眞の病因のわからない難しい病氣である。それは仕方がないが,この子は脊椎性小兒麻痺という誤診を下されて,幾年かを徒費するのだ。その間,わがくにの大病院の機械主義,官僚主義に,この不幸な三人の親子がいかに傷つけられ痛みつけられるかゞ泌々と味われるのである。この點「一郞」と同じだ。しかし「一郞」は開業醫がとうぜんの檢査を怠つて白血病を見のがすのだけれど,この場合は日本一流の大病院ばかりだから考えさせられるのである。
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