ルポルタージュ
星塚敬愛園を訪ねて
星野 みどり
pp.30-35
発行日 1951年12月15日
Published Date 1951/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906981
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雨戸をピタリと閉ざした車道の家々
鹿兒島の3月末といえば,櫻も盛りをはやすぎた今日この頃,急に吹き出した冷風に雨さえ混えて,鹿兒島灣を降られて渡る1時間は,うすら寒さを覺えてコートの衿を深々と重ねる始末,降りしきる雨の中を療養所から迎えの車中の人となる。小さな船つき場の町は直ちに通りすぎ,民家もまばらとなり鹿児島半島を鹿屋に向つて車は急ぐ。雨のせいもあつたのだろうが車中から眼に入るこのあたりの葺ぶきの農家らしき家々が,申し合わせたように雨戸をピタリと閉ざしている。まるで人など住んでいないかの如くに,それでいて所々5寸程あけてあるのをみれば内部には住つている事がわかる。癩療養所はまだまだ何里も先きなのに,私の頭にまずそのことが深く意識されているためか,暗く,陰氣に,そして重苦しく,何だかその家の奧に病人がかくれ住んでいるかのような錯覺すら覺えて何か變つた壓迫が胸をうつのであつた。
昔は熊本が最も癩患者の多い土地であつたいうのが,近頃は鹿兒島に最も多く未收容者がいるときいている。奄美大島も指折り數えられる仲間だ。途中賑やかな鹿屋の市街を走つている間ホツと息を入れるが,又忽ち田舍道にわけ入り,目指す敬愛園まではそれからまだ4哩ばかり奧になる。
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